広島平和公園の碑文は撤去すべし
犠牲者を冒涜し、核兵器保有国の戦闘使用を是認する内容
広島大学大学院博士課程の学生時代に、筆者は文部省附置研・原爆放射能医学研究所にて、昭和20年(西暦1945年)8月6日に広島県に降った黒い雨に含まれていたであろう濃縮ウランを探すため、広範囲に採取された砂を、毎日分析した。残念ながら、私の青春をかけた研究は、核爆発災害の科学の解明には至らなかった。
核爆発による災害の科学の全貌が解けたのは、12年後に、同研究所に助教授として戻り、米ソの核実験場など世界の核災害地を調査してからであった。2000年には、中国と国境を接するカザフスタンからの依頼で、中国の核実験から噴き出した核の砂のカザフ国境の町の放射線影響調査を行った。
一方、2001年9月11日以後、核兵器テロや弾道ミサイル攻撃事態から国民を防護するための研究を開始し、核爆発被害規模を予測し、計算可能とする核防護理論を作り上げた。こうして、現地を訪問調査しない形ながら、中国政府に隠ぺいされてきた楼蘭周辺での未曾有の核の蛮行の様子が見えたのだった。わが国は唯一の核被爆国ではなかった。
中国の核実験の出版後に、日本国内に渦巻くとんでもない、核に関する陰謀に気が付いた。筆者のシルクロード楼蘭周辺での中国の核爆発災害の科学報告は、アメリカサイエンス誌やロシアのプラウダ紙などが報じたが、日本国内の原水禁・原水協などの反核平和団体ばかりか、公共放送NHKなどの国内主要メデイアは黙殺した。
広島市平和公園内にある広島平和都市記念碑、通称「原爆死没者慰霊碑」に記されている碑文「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」は、素直に読めば、戦前の広島市や日本が過ちを犯したから、核攻撃を受けたと解釈される。これは、国民としては当然受け入れられぬ文書であるが、碑文を守ってきたのが、実は国内反核平和団体であった。
核の昭和史を検証したのが近著「核と刀」であり、その上にたって、今回、碑文の問題を考察した。本論文では特に、その非平和的意味を示す。
平成22年8月19日入稿
本文6500字
「核と刀 核の昭和史と平成の闘い」のあとがき最後の3行に指摘された広島の碑文問題を著者により論じられた。
核と刀 チャンネル桜 http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=SH7aJ70bGHA